直接的ではないですが、太が他の女性と関係がある描写があります。
ヌヌ黒でキスについて短編
ソファに深く沈みこむと、ボトムのポケットに違和感を感じた。何かを入れた覚えがない。探るように手を滑り込ませると指先に固いものが触れた。それをつまみ上げると、手のひらに円柱の形をした金属が転がる。
あの人の口紅かな、と独りごちる。行きずりの人と寝たのは丁度二十四時間前だったか。もうどんな顔だったか思い出せないけれど。手の中で小さな金色の塊を弄ぶ。
かちりと蓋を外し、軸を回して芯を繰り出す。現れたのは燃えるような赤い色。情熱的な色だねぇと、誰に云うでもなく呟く。血液の色にも似ているかもしれない。三年ほど前はこんなを色した血溜まりの中をよく歩いたなあ。
戯れに唇へ滑らせる。そういえば彼女が「恋が叶う口紅なの」なんて云っていたような気がする。言葉が頭の中でこだまする。「これをつければ恋が成就するのよ」
スリッパがフローリングを叩く音が近づく。
「女装趣味でも始めたか」
顔を一瞥して中也が云う。
「うふふ、似合う?」
微笑みながら口元に指を添えたら、人さし指に赤色が少しついた。鏡も見ずに塗ったから、唇からはみ出ていただろうか。唇の輪郭をなぞるように指で拭う。指先にぬるりと滑るような感触。あ、口紅が伸びた。きっと口の端に赤色が伸びている。
そうしていたら目の前に影が落ちた。視線を上げると、ふたつの瞳がこちらを見ていた。
「似合ってねぇ」
唇の端に伸びた紅に中也が口づける。触れる程度の口づけ。そうして直に、口紅を舐めとるような仕草。舌を少し出して肌に這わせてくる。ちょっとくすぐったい。
一度顔を離して交ざった視線は飢えた獣のようだった。瞳の奥がどろどろに濡れている。あゝ食べられる、と思った瞬間に視界は暗くなった。上唇を啄むように何度も挟まれる。自由だった手首を縫い止められる。
知らぬ間に息が上がる。このまま盲従するのは厭だなぁという意思を込めて唇を閉ざしていたが、舌をねじ込まれてしまえば呆気なかった。はしたない水音が耳に届く。
口の中を蹂躙される。口蓋を舌先でゆっくりと撫でられて、耐えきれずに背筋がぞくぞくと震えた。ひとつひとつ形を確認するかのように、歯列を丁寧になぞっていく。じれったい。ねじ込まれた舌が熱くてたまらない。熱が移って口の中の至る所が溶けていきそう。
煽るように中也の舌を吸うと、いつもとは違う変な味がすることに気づいた。普段なら舌がぴりつくような煙草の苦い味がするのに。そうか、さっきの口紅の味かなと思い出す。
ぼうっと考えていたら後頭部を掴まれて、口づけが深くなる。息がままならなくて苦しい。どうやら集中しろと云っているらしい。
横柄だなあ。でもこの瞬間は嫌いじゃない。互いの瞳の中に互いが居るから。
昨日の女性に、心の中で少しだけ感謝を述べる。今日の夜は長くなりそうだなあと思った。
了