コインランドリーの某イラストに感化されて書いてしまいました。当社比甘いはず。
捏造のみ、ほんのり事後
「さすがにこんな時間だと誰もいないねぇ」
足取り軽く、手ぶらで三歩前を歩く太宰が呟いた。片や俺はシーツにタオルに下着まで詰め込まれたやたらと大きい袋を担いでいた。人気のない夜道を、ゆったりとした歩みで進む。
晴天が続いた街の空気はからりと乾いて、薄く水を含んだ髪に心地よかった。それだけでずいぶん気分がいい。気温も落ち着いて、過ごしやすい季節になってきた。
まばたきの間に色を変えた信号を瞳に捉えて、横断歩道の白線をリズム良く踏んで進む。その歩みにともなって、ゆるく弧を描く癖毛がふわふわと浮くように揺れた。手づから乾かしてやった髪は、外灯の光を浴びてきれいな艶をたたえている。なかなか満足のいく仕上がりだ。
目当ての店は24時間営業で、昼夜問わず電灯がこうこうと輝いていると、ついさっき太宰が云っていた。店の軒先に漏れる光を目指して、早くもなく、遅くもない速度で歩を進める。
そうしてふと、嗚呼ひどく普通の━━ささやかな日常を、まるでカタギの人間のように送っているみたいだと思った。職業柄、血や硝煙に塗れて、日の当たる場所に身を置いていない故に、一般人が出入りするような場所にはあまり関わりがない。明るい光源は眺めるもので、近づくものではないと了知している。
だが今晩使ったセーフハウスは用意したばかりで、まだ洗濯機や冷蔵庫といった大型家電の準備が追いついていなかった。こんな夜更けにどうしようもなくなり、コインランドリーへ足を運ぶことになっている。
ぼんやりとした思考でいたら、いつの間にか店の前までたどり着いていた。ガラスのドアは素早く開いて、ふたりを容易に招き入れた。
「ったく、」
小銭を取り出し、指定通りの金額を投入する。今更ながら、こんな時間帯にコインランドリーに来ざるを得なくなったことに思わず不満がこぼれた。
「どうして舌打ち?」
ふくみ笑いの太宰が問いかける。
「洗濯機のないセーフハウスに転がり込んで来て、勝手に盛ったのはどこのどいつだよ」
「ええ? その私にご機嫌で乗ったのはだあれ、」
続くはずの言葉は途切れた。そうして少しの間。っくしゅん、と小さいくしゃみが耳に届いた。今度は俺が笑う番だ。
「『まだ暑いから上着は要らなーい」って、ぺらぺらの服一枚で出てきたのはどこの誰かねぇ」
「たまたまだよ、たぶん埃が舞っていたのさ」
中央に鎮座するテーブルにさっと指を走らせて、その指先に息を吹きかけた。随分と臭い強がりに吹き出しそうになる。オープンして比較的間もないコインランドリーは綺麗なもので、清掃もきちんと行われているというのに。
「これ着てろ」
羽織っていたライダースジャケットを投げ渡す。顔は不服そうだが素直に受け取った。太宰に体調が崩すと常にも増して面倒なのだ。できる自衛はさせておくに越したことはない。
ぐしゃぐしゃのシーツも汚れたタオルも全て放り込んで、業務用洗濯機の大きな扉を閉めた。黒い液晶に残り50分の文字。本か漫画でも置いてあるだろうかと見回そうとしたら、俯き加減の太宰が目に入った。髪間に覗く耳がほんのわずかに赤い。
「いや手前、どこに照れる要素があったよ……」
不可解な様子に思わず問いかける。何なら気持ち悪い。いつもよく動く口は鳴りを潜め、両手で顔を覆ってもごもごと呟く。
「いや……なんか……ベタな展開に自分の身が置かれてることを納得してないだけ……」
「なんだそれ」
「わかってない人は黙ってて」
眉間に深い皺が寄る。すん、と鼻が小さく鳴った。おざなりに肩へ掛けたジャケットの中で体を小さく丸める。
ゴウンゴウンと、洗濯機のドラムが回転する鈍い音が響き始めた。
「そういえばさぁ」
ぽつりと、床に視線を転がしながら記憶を引っ張り上げるように話し出す。
「これって、ずいぶん昔に買ったジャケットじゃなかった?」
「あー……15、6の時か?多分」
当時気に入ってよく覗いていた服屋で、たまたま見つけた上着だった。任務帰りで、なんとなく金が使いたい気分で、足の向くままふらりと立ち寄った。肩まわりのサイズがかなり大きかったが、レザーの光沢感やデザインの細かい意匠を気に入り、数年後に着られるようになれば、と思ってそのまま購入した。
そう、当時着るにはかなり大きかったのだ。試着した時も、「中也ってば、これから背が伸びると思っているのかい?!」「蛞蝓が服に着られているじゃないか」と背後から声高らかに笑われたことを鮮明に覚えている。今思い出しても最低な気分になる記憶だ。
それを思えば、太宰も自分も体つきはずいぶん変わった。日々黙々と鍛え、肩や腕まわりには適度な筋肉がついた。サイズ感が丁度良い具合になったジャケットは、オフによく着用している。腕を広げるにも苦労するほどだった硬い革は、今や身体によく馴染んでいる。
太宰は背丈こそ伸びたが、相変わらず掴み所のない薄い骨と筋肉で身体を構成している。
黒くぬめるレザージャケットの下、つい1時間ほど前に触れていた肌色の、その手触りを、手のひらの上で思い起こした。光る汗と湿った呼吸が空気に溶ける。喉を引き絞った太宰の声が、耳の奥を撫でていく。なんだかいたたまれなくなって手を握り込む。
中也は物持ちがいいよねと、革をひと撫でして顔を上げた太宰が、俺の顔を見るなりぱたりと動きを止める。
「君が何を考えているか、当ててみせようか」
にやりとわらいながら、態とらしく首を傾げている。
「てっめ、わかってんだろ」
「そりゃあ、まあ」
弧を描くくちびる。こちらの思考は筒抜けだ。
立場とか建前とか、変わったことも、自ら選んで変えたこともある。変質したようで変わらない部分があることを知っている。
10代の頃からずるずると繋がったままの縁を、今もそのままにしているから、ふたりしてここにいるのだ。
仕方がないから太宰に歩み寄る。仕方がないので、と言い聞かせてみる。こうして何年目になるのかと思って、考えるのをやめた。安っぽいパイプ椅子に腰掛けたままの太宰を見下ろした。
「終わるまであと40分くらいだな」
背後の液晶モニタを目で示す。
「待てる?」
「……良い子にしてる」
努めて静かな声で返したが、うまくいったかよく分からない。正直なところ、かなりキツい。すぐに手を出したいくらいだ。いくら人気がないからといって理性のリミッターが外れるほど愚かではないが。
「じゃあ良い子には後でご褒美あげなきゃ」
太宰は、幼い子どものような、また老成した大人のようにも見える、不思議と凪いだ表情をしていた。先ほどまでの赤い顔はもう見当たらない。……なんとなく面白くない。俺は太宰の顔のつくりを好んでいるが、その中でもより気に入っている表情というものがある。引き摺り出したい、と思った。
「前払いしてくれねぇの」
腰を屈めて、真正面から瞳を捕らえた。澄んだ鳶色の瞳がきちんと目を合わせてくる。
鼻筋を寄せて、するりとこすり合わせるだけのキスをした。触れた太宰の鼻は、薄氷のようにひんやりとして冷たい。自分とは異なる体温を感じる瞬間は案外心地がいいが、やっぱり身体冷やしてんじゃねぇかと毒づく。
細く伸びる睫毛が瞬いて、目尻にやわらかい影を作っていた。
「云うが早いか」
くすくす笑う肩が揺れた。気づけば太宰の手が伸びてきて、俺の肘を引き寄せていた。
思わず口角が上がる。
もう一度、ふたりの距離がゼロになるまで━━残り2.3秒。
了