ふらふらと覚束ない足で、時々互いの肩や身体をぶつけ合いながら歩道を辿る。
馴染みのバーで顔を合わせて、どうしてこの店に手前がいるんだ、君に言われたくない、気に入ってる店なのにもう使えなくなる、などと悪態をつきながらも、取り留めのない話をして、閉店まで居座ってしまった。
散々酒を煽って、終いにはすっかり出来上がった大人ふたりがカウンターに突っ伏していた。
もう看板です、とマスターに声を掛けられたのが20分ほど前の話だった。
ぼんやりと光る月明かりに、ちかちかと街灯が点滅する路地を歩く。特に話すこともなくて、黙ったままで歩いていた。ふたり分の靴音だけが響いていく。
対向車線の向こう、フェンスの向こうにグラウンドが見えた。学校だろうか。学生のいない深夜の校舎は、落ち着いた静けさに満ちていた。
「ねえ、プール入りたい」
校舎脇のプールの存在に気づいた太宰が、思い立ったように声をあげる。
「いや無理だろ。つーかやめとけ」
「この私が忍び込めないとでも?」
にたりと意地の悪そうな笑みを浮かべる。そうだ、この男はそういう奴だった。中也の言うことに耳を傾けるような人物ではない。溜息が溢れたのは仕方がなかった。
しかし引き止めた中也も、本気でやめさせるつもりで言ったわけではなかった。
いい大人が、ふたりして酔っている。適度なアルコールに思考の輪郭がぼやけていく。
身体に巻いた包帯の隙間からヘアピンを取り出した太宰が錠前の鍵穴をカチカチと弄ると、あっさりと鍵は開かれた。
視界が開ける。都会の真ん中にある学校にしては、なかなか広いプールだった。手入れも行き届き綺麗に整備されている。照明はもちろん点いてないが、この日は頭上に月が浮かび、互いの顔もよく見えるような明るい夜だった。
肌にあたる風はなまぬるく、本格的な夏が近いことを感じさせる。
プールサイドを列になって歩く。
中也の先を進む太宰は外套の衣嚢に手を突っ込んでいた。歩みを止めて、その場でくるりと一回転する。砂色が目の端で泳いだ。
「いい夜だね」
「ああ」
同意した。夜風にあたって落ち着いた気分を、ふわふわとした酩酊感が緩やかに高揚させていく。
「今時のプールは随分と立派な造りなんだねぇ。こっちのプールは水深が随分深いみたいだよ」
「良いとこの学校なんじゃねェか」
「ああ、私立かもね」
なんとなく、互いに声を潜める。やましいことをしている時は楽しい。行為のやましさを理解しているからこそ。
声をうんと小さくしても、十分に聞こえる距離しか離れていなかった。
「私たち、そもそも学校なんてものとは無縁だったものねぇ」
「そりゃあな」
この歳になって気づけば、生きた年月の中でマフィアに身を置いている時間の方が長くなっていた。
学校に通わずとも教育は施して貰えたし、学校というものに必要性を感じたこともなく、特に不満もなかった。
それに太宰の方は、高等教育を受けた大多数の人間よりも、ずっと怜悧な頭脳を持っている。
学校という環境は、自分たちにとって遠い存在だった。
「よし」
太宰は履いていた靴を脱ぎ、きちんと揃えて水際に置いた。裸足になった太宰は、こちらを見ながら薄く微笑んでいた。
「折角入り込んだのだから」
嫌な予感が背筋を走る。
「楽しまないとね」
プールを背にして大きく手を広げた太宰が、重力に身を任せて後ろに倒れ込む。
「おいっ」
反射的に思わず手を伸ばす。だが指は空を切って、ほんの僅か届かない。
その様子を見て可笑しそうに笑った太宰は、伸ばされた中也の腕を掴んだ。
気づけば、プールサイドから両足が離れていた。
どぼんと大きな音を立てて、二つの影が水の中に沈んでゆく。服の隙間からぼこぼこと気泡が立つ。
舌打ちは水音にかき消されて、音は耳に届かなかった。
目を開けると、目蓋を閉じたままの太宰が水に身を委ねていた。
月の光が差し込む水中は薄く輝いて、水面の影が揺らめく様が太宰の顔に写りこんでいる。
いつの間にか離れていた腕を掴み返して、力任せに引いた。服を着たままの水中で異能も使えない状況では流石に思った通りには動けないが、身体を無理やりに引き寄せる。
太宰に乗せられたことに若干の苛立ちを感じながらも、このまま乗せられてしまおうかと思う。
なにしろいい夜だ。火照った身体を冷ますには、夜風よりも冷えたプールの水の方が効果的だろう。
眼前に漂う男は、未だ目を開けない。
眺めているのは飽きた。
顔を寄せて、唇に噛みつく。
触れ合ったことを合図にして、ゆっくりと目蓋が開かれて、鳶色の瞳に光が差し込む。水面に上る細かな泡が視線を遮る。
(ああ、邪魔だな)
阻む空気を奪いたい。口を開かせて蹂躙する。鍵は開かれた、後は奪うだけ。
立ち昇る気泡は次第に少なくなる。
呼吸の限界が訪れたのは太宰が先だった。肺の中の空気は残り少なくて、自らの意思とは関係なく、身体は勝手に水面へ顔を出そうとする。
抱きしめた腕は緩めなかった。太宰の顔に——苦しげな表情に混じって、中也を咎めるような色が、見てとれた。
可笑しくなって、思わず笑った。
了