春の嵐、という表現がぴったりの一日だった。昨日までの暖かさは何処へやら。長引いた任務を終えて寮へ帰る夜道、冬に戻ったかのような冷たい風がびゅうびゅうと頬を叩いた。この週末に満開を迎えるはずだった桜の花びらが、強い風に煽られて散り散りに舞っている。まるで吹雪みたいだ。
隣を歩く伏黒は首を竦めて、ポケットに手を突っ込んでいる。二人して知らず知らずのうちに早足になるのは仕方がない。さっさと戻って身体を休めようと言い交わし、たどり着いた寮の浴場でシャワーを軽く済ませ布団へ向かう。
いつもならそれぞれの部屋へ別れるところだったが、任務続きで疲労が目に見えて溜まっていた伏黒の世話を焼きたい気持ちがあった。既にまぶたが半分閉じかかった伏黒の手を引いて、布団の中へ押し込んで、その後を追う。いつもなら多少の抵抗を見せるのに、今日は素直について来たものだから、伏黒はかなり疲れている。
上手く収まる位置を探って、もぞもぞと身体を動かす。ふぅと短く息を吐けば、しっくりくる場所に収まった合図。
その時、自分の足首に伏黒の足先がひたりと触れた。足に雪に触れたのかと勘違いしてしまうほどの冷たさをしていて、驚きが思わず言葉になった。
「伏黒って、もしかしなくても冷え性?」
その瞬間、弾かれたように伏黒が顔を上げ、先程までのまどろみが吹き飛んだように瞠目した。
「わるい、」
素早い謝罪に加え、間髪を容れず身体を離す。触れていた足に感じていた温度がぱっと消えてしまった。壁の方に向かって逃げるように身体を離す伏黒に、思わず大きめの声が出る。
「ちょっ、待って!」
伏黒と付き合い始めて、もうすぐ一ヶ月が経つ。最近ようやく一緒の布団で眠ることができるようになった。伏黒とくっついていられる時間が嬉しくて、幸せで──眠りに落ちる直前、目蓋の重さに抗う彼の、少しあどけない表情を見つめながら、共に眠るのが好きだった。
自分よりずっと思慮深い伏黒のことだから、冷え性が事実が事実でないかより、冷たさを感じさせたことが不快だったのでは、とか考えたんだろうなと思って、やってしまった、と脳内でひとり反省する。
外は未だ嵐めいて、轟々と鳴る風の音が窓を叩く。寮の窓は建て付けが少々悪くなっていて、カタカタと音を漏らした。
「伏黒、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。……な、こっち来て」
伏黒の眉間にはうっすらと皺が寄っている。うーん、納得していない。いやだと表情が語っているが、こちらも折れるつもりはない。じっと見つめて反応を伺う。ぱちぱちと長いまつ毛が揺れて、短く息を吐いた伏黒は、漸く諦めがついたのか、じりじりとこちら側に戻ってきてくれた。よし、と見えないようにガッツポーズ。
「手、出して」
唐突になんだ、意図がわからないと、頭上にクエスチョンマークが浮かんでいるのが分かって、少し吹き出してまった。それでも素直に差し出してくれた両手が嬉しくて、口元がつい綻ぶ。
「ありがと」
伏黒の手を握って、親指の付け根あたりを柔らかく押す。ぴく、と跳ねた指先を認めて、力を込めすぎないように加減しながら揉みこんだ。人によって気持ち良いと思える力加減は違う。伏黒ならこのくらいだろうか、と探りつつ押し込んだ指と、伏黒の表情を見つめる。
触れた手のひらはやはり自分のそれより冷たくて、先程のシャワーが烏の行水であったと分かる。これから一緒に風呂に入る時はもう少し時間をかけよう、いや湯船に浸からせようと決意する。
爪のあたりを親指と人差し指で挟み込んで、左右に緩く捻るように動かす。端から順番に、薬指、小指へと。きちんと切り揃えられた爪が行儀良く並んでいて、いつも深爪気味の自分の爪とは大違いだ。
マッサージをしつつ、伏黒の手をじっと観察する。骨が浮く肉付きの薄い手のひら。細くて長い指。でも貧弱な訳ではなくて、戦闘の際はとても頼りになる呪術師の手。
「ほんと器用だな、オマエは」
手元を眺めながら、感心したように伏黒が呟く。
「マッサージは爺ちゃんによくやらされてたからさ」
肩叩きだ按摩だと、言われるがままこなしていたが、伏黒にとってプラスになるなら覚えていて良かったと思う。リラックスしているのか、再び目蓋が重たげに瞬いた。手から腕もだらりと脱力して、こちらに身体を委ねていることがわかった。捉えようのない歓びが、ソーダの泡のように喉の奥でしゅわしゅわと弾ける。
「手先とか足先が冷えてるときって、寝付き悪くならない?」
「あー……そう、かもな」
「足、さっきみたいにくっつけてて良いよ」
「いや、いい」
「まぁまぁそう言わずに」
くっついてた方があったかくなるよ、と念押し。おれ体温高めだし、とさらに念押し。
「…………」
無言のまま、シーツの中でゆっくりと寄せられた足がぴたりとくっついて、絡まった。二人分の体温がひとつになって、温かくて、心地よさに包まれている。
「ん〜、なんかしあわせ」
「なんだそれ」
(伏黒だって、満更でもない顔だよ?)
これは言わないでおこう。まだくっついてたいから。
もうすぐ眠りに落ちるか落ちないか、そんなラインを揺蕩う目蓋。それに合わせて少しづつ、マッサージする手の力を緩めていく。終いに指圧はやめて、柔く握りしめてみる。
気づけば伏黒との距離はゼロで、すぅ、と静かな息が、緩やかな一定のリズムで聞こえてきた。もう起こさないように、ごくごく小さな声で囁く。
「おやすみ、伏黒」
ふと、外に意識が向く。吹雪のようだった風はいつの間にか落ち着いている。激しかった音も止んで、穏やかな春の夜がそこにあった。
伏黒の眠りを妨げるものがない、そういう日が続くようにと祈って、眠りについた。
了
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